2017年サンジチャーinゆかるひ エイサー講座スケジュール
2017年のエイサー講座サンジチャーinゆかるひ
第1回(5月20日 土曜日 午後3時~5時)「異類異形(いるいいぎょう)――チョンダラー」
第2回(5月27日 土曜日 午後3時~5時)「モーアシビからエイサーへ」
第3回(6月3日 土曜日 午後3時~5時)「復帰運動が産んだ太鼓型エイサー」
第4回(6月10日 土曜日 午後3時~5時)「神話劇としてのパーランクーエイサー」
第5回(6月18日 日曜日 午後3時~5時)「僕の目線からみた青年会エイサー」(仮)
ゲストスピーカー:上間哲朗(今帰仁村仲宗根青年会前会長、認定キャリア教育コーディネーター)
講師プロフィール:
具志堅 要 1952年生まれ。1990年、ぐしけんかなめ編著「エイサーアンケート集約」発行。ブログ「ぷかぷか」で沖縄文化と西欧絵画を社会史的に語る。
場所:BOOK CAFE&HALL・ゆかるひ 那覇市久茂地3-4-10 YAKAビル3F
第1回(5月20日 土曜日 午後3時~5時)「異類異形(いるいいぎょう)――チョンダラー」
第2回(5月27日 土曜日 午後3時~5時)「モーアシビからエイサーへ」
第3回(6月3日 土曜日 午後3時~5時)「復帰運動が産んだ太鼓型エイサー」
第4回(6月10日 土曜日 午後3時~5時)「神話劇としてのパーランクーエイサー」
第5回(6月18日 日曜日 午後3時~5時)「僕の目線からみた青年会エイサー」(仮)
ゲストスピーカー:上間哲朗(今帰仁村仲宗根青年会前会長、認定キャリア教育コーディネーター)
講師プロフィール:
具志堅 要 1952年生まれ。1990年、ぐしけんかなめ編著「エイサーアンケート集約」発行。ブログ「ぷかぷか」で沖縄文化と西欧絵画を社会史的に語る。
場所:BOOK CAFE&HALL・ゆかるひ 那覇市久茂地3-4-10 YAKAビル3F
映画「奇跡の丘」(1966年、イタリア・フランス)
映画「奇跡の丘」(1966年、イタリア・フランス)。監督はパゾリーニ。
処女懐胎、イエスの誕生、イエスの洗礼、‥‥ゴルゴダの丘、復活のエピソードというようにイエスの生涯が描かれていた。
聖書がそのまま?
処女懐胎したマリアが若い。ヨセフは若くない。
西欧絵画のなかではヨセフは高齢者だったのが、
時代とともに若者として描かれていくと聞いていたことがあったので、
ヨセフが若くないことに納得。
臨月のお腹をしたマリアをみたときのヨセフの葛藤ポーズがとても自然で驚いた。
登場人物はほとんどが素人と書かれた映画批評を読んで、だから、あーいう「自然な演技」だったのかと納得した。
ヨセフは生物学的父ではなく社会的父なのだ。
社会的父の子育てをもっと見たいと思ったが、ヨセフは途中から登場しなくなる。どうして?
処女懐胎したマリアはまるで若年出産した沖縄の少女のような表情をする。
成長したイエスも沖縄でバーのカウンターにいそうな男性。
眉はくっついていなかったが。しかし、私のイエス像を大きく覆された。
パゾリーニ監督ってどんな人なのだろうか。
ついでにいうと、サロメが王の前で花の小枝をもって踊るのだが、
それが琉舞に似ているとまで思ったのだ。
ごめんなさい、沖縄に惹きつけすぎて。
世界の物語の普遍性を語ればいいのだが、力がなくて、すみません。
イエスが磔刑されるときの年老いたマリアの動揺とマリアをサポートする人たちの場面、
そこはけっこう長く描き出す。
パゾリーニの年老いた実母が演技しているらしい。
マグダラのマリアが登場しないのは、母性愛を崇高なものとして疑わなかったため?
それはおいといて、イエスのロジックってすごくない?
身近にこんな論法する人がいたら、私はひんにげる(その場から去る)。
でも、社会が病んでいて、自分が落ちているときには、ひっぱられるなぁ。今はアブナイな。
もっと知りたい聖書の世界だと思った映画だった。

処女懐胎、イエスの誕生、イエスの洗礼、‥‥ゴルゴダの丘、復活のエピソードというようにイエスの生涯が描かれていた。
聖書がそのまま?
処女懐胎したマリアが若い。ヨセフは若くない。
西欧絵画のなかではヨセフは高齢者だったのが、
時代とともに若者として描かれていくと聞いていたことがあったので、
ヨセフが若くないことに納得。
臨月のお腹をしたマリアをみたときのヨセフの葛藤ポーズがとても自然で驚いた。
登場人物はほとんどが素人と書かれた映画批評を読んで、だから、あーいう「自然な演技」だったのかと納得した。
ヨセフは生物学的父ではなく社会的父なのだ。
社会的父の子育てをもっと見たいと思ったが、ヨセフは途中から登場しなくなる。どうして?
処女懐胎したマリアはまるで若年出産した沖縄の少女のような表情をする。
成長したイエスも沖縄でバーのカウンターにいそうな男性。
眉はくっついていなかったが。しかし、私のイエス像を大きく覆された。
パゾリーニ監督ってどんな人なのだろうか。
ついでにいうと、サロメが王の前で花の小枝をもって踊るのだが、
それが琉舞に似ているとまで思ったのだ。
ごめんなさい、沖縄に惹きつけすぎて。
世界の物語の普遍性を語ればいいのだが、力がなくて、すみません。
イエスが磔刑されるときの年老いたマリアの動揺とマリアをサポートする人たちの場面、
そこはけっこう長く描き出す。
パゾリーニの年老いた実母が演技しているらしい。
マグダラのマリアが登場しないのは、母性愛を崇高なものとして疑わなかったため?
それはおいといて、イエスのロジックってすごくない?
身近にこんな論法する人がいたら、私はひんにげる(その場から去る)。
でも、社会が病んでいて、自分が落ちているときには、ひっぱられるなぁ。今はアブナイな。
もっと知りたい聖書の世界だと思った映画だった。

早池峰の夜神楽から平敷屋エイサーへ
2017年5月13日の投稿
1989年夏、家族4人と赤木かん子さんで岩手県の早池峰に行く。
早池峰に行くきっかけは、
赤木さんの学生時代のゼミ仲間が
岩手県の早池峰の山荘で翻訳の合宿をしていて、
そこに行くが一緒に行かないかと誘われたからだ。
もちろん合宿が目的ではない。
岩手県早池峰の夜神楽が目的だ。
なぜ夜神楽かは忘れた。
赤木さんのゼミの先生は
早池峰神楽のファンで、合宿先を早池峰神社の近くに設定していた。
昼間は翻訳を指導し、夜は神楽を見るのを趣味としているという。
私たちは、赤木さんの絶妙な語りに翻弄され、
いつのまにか早池峰に旅をすることになったのだと思う。
そのゼミがヤング・アダルト小説の翻訳者たちの合宿だと知っていたら
行かなかったであろう。
東京からバンを調達して、早池峰に向かった。
早池峰に登るのは大変だった。傾斜がきつい。標高1,913メートルだ。
夜神楽を見るのは初めてだった。
沖縄の祭りとあまりにも違いすぎて、愕然とした。
そこで、沖縄の祭りと何が違うのだろうか、という問いをもってしまった。
何かが根本的に違う気がした。
そんな感想を抱いて帰途に就いた。
旅から戻るやいなや、赤木さんが沖縄に来るという連絡が入った。
ならば今度は一緒に沖縄の祭りを見ようということになった。
沖縄の祭りを見せるには何がいいのかと情報収集をした。
沖縄本島の中部の東に突き出た与勝半島の
勝連町平敷屋エイサーだということになった。
赤木さんが沖縄に来る日は旧盆の最中であった。
赤木さんと勝連町平敷屋で待ち合わせをした。
与勝半島は私には馴染みがうすい。
はじめての土地だ。
エイサーは夜の祭りだと思っていたので、暗くなってから出かけた。
夜の与勝半島を車で走らせたら、人々の群れを発見した。
そこは新装開店のガソリンスタンドだった。
車から降りて人の群れに近づいたら、ガソリンスタンド中に指笛が鳴り響いた。
それが平敷屋エイサーだった。
子どもの頃に観たやんばるのモーアシビ・エイサーとは違いすぎて、衝撃を受けた。
呆然と立ってエイサーを観ている私に一人の女性が話しかけてきた。
「平敷屋エイサー、いいでしょう?今年はとてもすごいのです。青年たちの人数が揃っていて…」
という。
「いつも観ていらっしゃるのですか」と尋ねると、
「毎年、観ているんです」という。
その人の瞳は潤んでいた。
私は、そのことにも衝撃を受けた。
見ず知らずの人に平敷屋エイサーのすばらしさを語り、
黒い瞳を潤ませながら、エイサーを観る人がいるということにだ。
しかも、その女性が私と同年齢くらいであることにもだ。
自分の地域のエイサーを見ず知らずの他者に自慢することのできる
エイサーとは何なのだろうか。
私はその女性が羨ましかった。
私が感じたその羨ましさとは何なのであろうか。
その日が、私のエイサーの追っかけのはじまりになった。
エイサー追っかけ歴28年になっている。
私もエイサーのことを見ず知らずの誰かに語りたい。
エイサーの何が人びとを魅了するのかということを語りたいのだ。
その気持ちは何年経っても変わっていないのだ。

早池峰神社の夜神楽。1989年。




平敷屋エイサー、1989年なのかは定かではない。(はこべるり撮影)
1989年夏、家族4人と赤木かん子さんで岩手県の早池峰に行く。
早池峰に行くきっかけは、
赤木さんの学生時代のゼミ仲間が
岩手県の早池峰の山荘で翻訳の合宿をしていて、
そこに行くが一緒に行かないかと誘われたからだ。
もちろん合宿が目的ではない。
岩手県早池峰の夜神楽が目的だ。
なぜ夜神楽かは忘れた。
赤木さんのゼミの先生は
早池峰神楽のファンで、合宿先を早池峰神社の近くに設定していた。
昼間は翻訳を指導し、夜は神楽を見るのを趣味としているという。
私たちは、赤木さんの絶妙な語りに翻弄され、
いつのまにか早池峰に旅をすることになったのだと思う。
そのゼミがヤング・アダルト小説の翻訳者たちの合宿だと知っていたら
行かなかったであろう。
東京からバンを調達して、早池峰に向かった。
早池峰に登るのは大変だった。傾斜がきつい。標高1,913メートルだ。
夜神楽を見るのは初めてだった。
沖縄の祭りとあまりにも違いすぎて、愕然とした。
そこで、沖縄の祭りと何が違うのだろうか、という問いをもってしまった。
何かが根本的に違う気がした。
そんな感想を抱いて帰途に就いた。
旅から戻るやいなや、赤木さんが沖縄に来るという連絡が入った。
ならば今度は一緒に沖縄の祭りを見ようということになった。
沖縄の祭りを見せるには何がいいのかと情報収集をした。
沖縄本島の中部の東に突き出た与勝半島の
勝連町平敷屋エイサーだということになった。
赤木さんが沖縄に来る日は旧盆の最中であった。
赤木さんと勝連町平敷屋で待ち合わせをした。
与勝半島は私には馴染みがうすい。
はじめての土地だ。
エイサーは夜の祭りだと思っていたので、暗くなってから出かけた。
夜の与勝半島を車で走らせたら、人々の群れを発見した。
そこは新装開店のガソリンスタンドだった。
車から降りて人の群れに近づいたら、ガソリンスタンド中に指笛が鳴り響いた。
それが平敷屋エイサーだった。
子どもの頃に観たやんばるのモーアシビ・エイサーとは違いすぎて、衝撃を受けた。
呆然と立ってエイサーを観ている私に一人の女性が話しかけてきた。
「平敷屋エイサー、いいでしょう?今年はとてもすごいのです。青年たちの人数が揃っていて…」
という。
「いつも観ていらっしゃるのですか」と尋ねると、
「毎年、観ているんです」という。
その人の瞳は潤んでいた。
私は、そのことにも衝撃を受けた。
見ず知らずの人に平敷屋エイサーのすばらしさを語り、
黒い瞳を潤ませながら、エイサーを観る人がいるということにだ。
しかも、その女性が私と同年齢くらいであることにもだ。
自分の地域のエイサーを見ず知らずの他者に自慢することのできる
エイサーとは何なのだろうか。
私はその女性が羨ましかった。
私が感じたその羨ましさとは何なのであろうか。
その日が、私のエイサーの追っかけのはじまりになった。
エイサー追っかけ歴28年になっている。
私もエイサーのことを見ず知らずの誰かに語りたい。
エイサーの何が人びとを魅了するのかということを語りたいのだ。
その気持ちは何年経っても変わっていないのだ。

早池峰神社の夜神楽。1989年。




平敷屋エイサー、1989年なのかは定かではない。(はこべるり撮影)
映画「風と共に去りぬ」
「風と共に去りぬ」(1939年、アメリカ)。
原作マーガレット・ミッチェル(1900-1949)。
高校生の時に読んだなぁ。意味が分からないのに分かったふりをしなければならない。
そんな青春時代に読む小説の一つだった。あの頃はネ。
映画は全編・後編で3時間42分。長かったが、なぜか退屈しないメロドラマ。
しかし、一度もうるうるしないのだ。なぜだろうか?
スカーレット・オハラの高慢でロマンティック・ラブに執着する性格の悪さが目を離せない。
スカーレットの恋敵のメラニーが、すべてを受容し家庭の天使という役割になっているところが面白い。
エヴァとマリアという構図の変化バージョン。
南部の黒人奴隷を支配することで得た貴族的文化社会をためらいもなく描いている。
スカーレットの過少な母性愛とメラニーの過剰な母性愛、その対比も面白い。
これは世界的ベストセラーになるのも当然だ。男性目線を内面化していない作品だものね。
メラニーの受容と奉仕の精神が、夫のアシュレーをつまらない男性にしていくのに多くの女性たちは共感したのだろうか?
メラニーのものだったから、スカーレットはアシュレーを欲しかったのだ。
だから、メラニーが亡くなった途端にアシュレーがいらなくなった。
その途端にバトラーを愛しているということに気づく。気づきがはやい。目を疑うほどに。
スカーレットの愛を確認した途端にバトラーは去っていく。
すれちがい!メロだ!メロドラマの構造を踏襲している作品は偉大だ。
飽きさせない。
人生経験豊富なシニアにおススメな映画だ。

原作マーガレット・ミッチェル(1900-1949)。
高校生の時に読んだなぁ。意味が分からないのに分かったふりをしなければならない。
そんな青春時代に読む小説の一つだった。あの頃はネ。
映画は全編・後編で3時間42分。長かったが、なぜか退屈しないメロドラマ。
しかし、一度もうるうるしないのだ。なぜだろうか?
スカーレット・オハラの高慢でロマンティック・ラブに執着する性格の悪さが目を離せない。
スカーレットの恋敵のメラニーが、すべてを受容し家庭の天使という役割になっているところが面白い。
エヴァとマリアという構図の変化バージョン。
南部の黒人奴隷を支配することで得た貴族的文化社会をためらいもなく描いている。
スカーレットの過少な母性愛とメラニーの過剰な母性愛、その対比も面白い。
これは世界的ベストセラーになるのも当然だ。男性目線を内面化していない作品だものね。
メラニーの受容と奉仕の精神が、夫のアシュレーをつまらない男性にしていくのに多くの女性たちは共感したのだろうか?
メラニーのものだったから、スカーレットはアシュレーを欲しかったのだ。
だから、メラニーが亡くなった途端にアシュレーがいらなくなった。
その途端にバトラーを愛しているということに気づく。気づきがはやい。目を疑うほどに。
スカーレットの愛を確認した途端にバトラーは去っていく。
すれちがい!メロだ!メロドラマの構造を踏襲している作品は偉大だ。
飽きさせない。
人生経験豊富なシニアにおススメな映画だ。

サンジチャーinゆかるひ エイサー講座
土曜の昼下がりは「ゆかるひ」でサンジチャー(午後3時のお茶)を飲みながら、エイサーのことについて学び合い、語り合ってみませんか。
場所:BOOK CAFE&HALL・ゆかるひ 那覇市久茂地3-4-10 YAKAビル3F
第1回(5月20日 土曜日 午後3時~5時)「異類異形(いるいいぎょう)――チョンダラー」
エイサーの祖形はチョンダラー(京太郎)たちの伝えた似せ念仏(若衆念仏)だった。チョンダラーたちは、中世日本から渡来した、念仏と人形劇を生業にした異類異形だった。彼らは念仏を唱えるときはニンブチャー(念仏者)と呼ばれ、人形劇を演じるときはチョンダラーと呼ばれた。
動画観賞:八重瀬町安里の古式のエイサー、平敷屋エイサー東組のナカワチ(道化役)による余興「チョンダラー」
第2回(5月27日 土曜日 午後3時~5時)「モーアシビからエイサーへ」
明治・大正期の風俗改良運動によってモーアシビが取り締まりの対象となる。同時期に位牌祭祀が本格的な民衆化を始め、祖先供養芸能の需要が高まっていく。社会の公的な場から追放されたモーアシビの青年男女は、似せ念仏のなかにモーアシビの要素を盛り込み、エイサーという新しい芸能を誕生させていく。
動画観賞:本部町瀬底のエイサー、名護市城のエイサー、読谷村楚辺のエイサー
第3回(6月3日 土曜日 午後3時~5時)「復帰運動が産んだ太鼓型エイサー」
1960年代、米軍基地の撤廃を目指した「祖国復帰運動」は日本政府によって裏切られ、祖国日本に対する憧憬は急速に薄れていく。この挫折のなかで祖国日本に代わる沖縄のナショナルイメージが求められ、そのナショナルイメージに応えたのが太鼓型エイサーだった。太鼓型エイサーのスタイルの確立によって、エイサーはシマの芸能から、沖縄アイデンティティを表現する芸能に変貌を遂げる。
動画観賞:沖縄市園田・久保田・山里・諸見里などのエイサー
第4回(6月10日 土曜日 午後3時~5時)「神話劇としてのパーランクーエイサー」
モーアシビの文化が近代的な雑踊の洗練と出会ったとき、近代的な文化は、神話劇として構築されることになる。モーアシビのストレートな恋心は忍ぶ恋に変換され、忍ぶ恋に秘められた激情は、道化の荒々しい舞いとパーランクー叩きの禁欲的な舞いに変換される。そこに動と静とのコントラストが生まれ、エイサーは演劇的な構成をもつようになる。演じる青年たちは来訪神の化身なので、その演劇性は神々の演じる神話劇となっていく。
動画観賞:うるま市屋慶名と平敷屋のエイサー
第5回(6月18日 日曜日 午後3時~5時)「僕の目線からみた青年会エイサー」(仮)
青年会のエイサーは、沖縄社会にとっての無限の宝であるともいえるが、多くの課題をもつ現状にもある。エイサーにほれ込んだ青年の話を共有して、エイサー青年たちが生きやすい社会を考えていく。
講師プロフィール
申し込み方法:当日会場受付有り。フェイスブック「講座工房サンジチャー」にメッセージ送信していただけたら嬉しいです(資料枚数確認のため)。電話受付いたしません。単発での参加も可。
参加費:ワンドリンク(400円より)+コピー代(100円)。
駐車場は各自で確保してください。参加予定の方はフェイスブック「講座工房サンジチャー」を最終確認をしてください。急な変更な場合にお知らせいたします。

場所:BOOK CAFE&HALL・ゆかるひ 那覇市久茂地3-4-10 YAKAビル3F
第1回(5月20日 土曜日 午後3時~5時)「異類異形(いるいいぎょう)――チョンダラー」
エイサーの祖形はチョンダラー(京太郎)たちの伝えた似せ念仏(若衆念仏)だった。チョンダラーたちは、中世日本から渡来した、念仏と人形劇を生業にした異類異形だった。彼らは念仏を唱えるときはニンブチャー(念仏者)と呼ばれ、人形劇を演じるときはチョンダラーと呼ばれた。
動画観賞:八重瀬町安里の古式のエイサー、平敷屋エイサー東組のナカワチ(道化役)による余興「チョンダラー」
第2回(5月27日 土曜日 午後3時~5時)「モーアシビからエイサーへ」
明治・大正期の風俗改良運動によってモーアシビが取り締まりの対象となる。同時期に位牌祭祀が本格的な民衆化を始め、祖先供養芸能の需要が高まっていく。社会の公的な場から追放されたモーアシビの青年男女は、似せ念仏のなかにモーアシビの要素を盛り込み、エイサーという新しい芸能を誕生させていく。
動画観賞:本部町瀬底のエイサー、名護市城のエイサー、読谷村楚辺のエイサー
第3回(6月3日 土曜日 午後3時~5時)「復帰運動が産んだ太鼓型エイサー」
1960年代、米軍基地の撤廃を目指した「祖国復帰運動」は日本政府によって裏切られ、祖国日本に対する憧憬は急速に薄れていく。この挫折のなかで祖国日本に代わる沖縄のナショナルイメージが求められ、そのナショナルイメージに応えたのが太鼓型エイサーだった。太鼓型エイサーのスタイルの確立によって、エイサーはシマの芸能から、沖縄アイデンティティを表現する芸能に変貌を遂げる。
動画観賞:沖縄市園田・久保田・山里・諸見里などのエイサー
第4回(6月10日 土曜日 午後3時~5時)「神話劇としてのパーランクーエイサー」
モーアシビの文化が近代的な雑踊の洗練と出会ったとき、近代的な文化は、神話劇として構築されることになる。モーアシビのストレートな恋心は忍ぶ恋に変換され、忍ぶ恋に秘められた激情は、道化の荒々しい舞いとパーランクー叩きの禁欲的な舞いに変換される。そこに動と静とのコントラストが生まれ、エイサーは演劇的な構成をもつようになる。演じる青年たちは来訪神の化身なので、その演劇性は神々の演じる神話劇となっていく。
動画観賞:うるま市屋慶名と平敷屋のエイサー
第5回(6月18日 日曜日 午後3時~5時)「僕の目線からみた青年会エイサー」(仮)
青年会のエイサーは、沖縄社会にとっての無限の宝であるともいえるが、多くの課題をもつ現状にもある。エイサーにほれ込んだ青年の話を共有して、エイサー青年たちが生きやすい社会を考えていく。
ゲストスピーカー:上間哲朗(今帰仁村仲宗根青年会前会長、認定キャリア教育コーディネーター)
講師プロフィール
具志堅 要 1952年、名護市東江に生まれる。1977年、中央大学文学部卒業。1978~2010年、那覇市役所勤務。1990年、ぐしけんかなめ編著「エイサーアンケート集約」発行。2002年、うつ病発病。2015年、ブログ「ぷかぷか」を始める。ブログでアップした「こうの史代『この世界の片隅に』」が5,000アクセス、「宮廷風恋愛から結婚契約、恋愛結婚へ」が4,000アクセス、贈与論に関する六つのエッセイが合計で5,000アクセスを超えるヒットを記録していることを機にPCの前から生の場にでる。
申し込み方法:当日会場受付有り。フェイスブック「講座工房サンジチャー」にメッセージ送信していただけたら嬉しいです(資料枚数確認のため)。電話受付いたしません。単発での参加も可。
参加費:ワンドリンク(400円より)+コピー代(100円)。
駐車場は各自で確保してください。参加予定の方はフェイスブック「講座工房サンジチャー」を最終確認をしてください。急な変更な場合にお知らせいたします。
サンジチャーinゆかるひ エイサー講座
サンジチャーinゆかるひ エイサー講座
土曜の昼下がりは「ゆかるひ」でサンジチャー(午後3時のお茶)を飲みながら、エイサーのことについて学び合い、語り合ってみませんか。エイサーの追っかけ歴25年の具志堅邦子と要の研究をキャンパスから街へ。講座工房サンジチャー(具志堅邦子主宰)による連続講座のスタートです。青年会によるすべてのエイサーは対等であるという視点を持っています。
場所:BookCafé&Hall ゆかるひ 那覇市久茂地3-4-10 YAKAビル3F
時間:午後3時~5時
第1回(5月20日)「道々の輩(ともがら)――チョンダラー」
エイサーの祖形はチョンダラー(京太郎)たちの伝えた似せ念仏(若衆念仏)だった。チョンダラーたちは、中世日本から渡来した、念仏と人形劇を生業にした道々の輩だった。彼らは念仏を唱えるときはニンブチャー(念仏者)と呼ばれ、人形劇を演じるときはチョンダラーと呼ばれた。第2回(5月27日)「モーアシビからエイサーへ」
動画観賞:八重瀬町安里の古式のエイサー、平敷屋エイサー東組のナカワチ(道化役)による余興「チョンダラー」
明治・大正期の風俗改良運動によってモーアシビが取り締まりの対象となる。同時期に位牌祭祀が本格的な民衆化を始め、祖先供養芸能の需要が高まっていく。社会の公的な場から追放されたモーアシビの青年男女は、似せ念仏のなかにモーアシビの要素を盛り込み、エイサーという新しい芸能を誕生させていく。
動画観賞:本部町瀬底のエイサー、名護市城のエイサー、読谷村楚辺のエイサー
第3回(6月3日)「復帰運動が産んだ太鼓型エイサー」
1960年代、米軍基地の撤廃を目指した「祖国復帰運動」は日本政府によって裏切られ、祖国日本に対する憧憬は急速に薄れていく。この挫折のなかで祖国日本に代わる沖縄のナショナルイメージが求められ、そのナショナルイメージに応えたのが太鼓型エイサーだった。太鼓型エイサーのスタイルの確立によって、エイサーはシマの芸能から、沖縄アイデンティティを表現する芸能に変貌を遂げる。
動画観賞:沖縄市園田・久保田・山里・諸見里などのエイサー
第4回(6月10日)「神話劇としてのパーランクーエイサー」
モーアシビの文化が近代的な雑踊の洗練と出会ったとき、近代的な文化は、神話劇として構築されることになる。モーアシビのストレートな恋心は忍ぶ恋に変換され、忍ぶ恋に秘められた激情は、道化の荒々しい舞いとパーランクー叩きの禁欲的な舞いに変換される。そこに動と静とのコントラストが生まれ、エイサーは演劇的な構成をもつようになる。演じる青年たちは来訪神の化身なので、その演劇性は神々の演じる神話劇となっていく。
動画観賞:うるま市屋慶名と平敷屋のエイサー
第5回(6月17日)「僕の目線からみた青年会エイサー」(仮)
青年会のエイサーは、沖縄社会にとっての無限の宝であるともいえるが、多くの課題をもつ現状にもある。エイサーにほれ込んだ青年の話を共有して、エイサー青年たちが生きやすい社会を考えていく。講師プロフィール
ゲストスピーカー:上間哲朗(今帰仁村仲宗根青年会前会長、認定キャリア教育コーディネーター)
ファシリテーター:具志堅邦子(講座工房サンジチャー主宰、沖縄国際大学非常勤講師)
具志堅 要
1952年、名護市東江に生まれる。1977年、中央大学文学部卒業。1978~2010年、那覇市役所勤務。1990年、ぐしけんかなめ編著「エイサーアンケート集約」発行。2002年、うつ病発病。2015年、ブログ「ぷかぷか」を始める。ブログでアップした「こうの史代『この世界の片隅に』」が5,000アクセス、「宮廷風恋愛から結婚契約、恋愛結婚へ」が4,000アクセス、贈与論に関する六つのエッセイが合計で5,000アクセスを超えるヒットを記録していることを機にPCの前から生の場にでる。
申し込みは、FB講座工房サンジチャーへ。当日会場でも受け付けますが、コピー資料の枚数の確認のためですので、参加予定をクリックしてください。
参加費:ワンドリンク(400円より)+コピー代(100円)
駐車場は各自で確保してください。
電話受付は致しません。
急な変更の場合は、FB講座工房サンジチャーでお知らせします。
エイサーを追っかけして
1990年頃だと思います。本部町の港町を歩き、本部町の谷茶のエイサーに出遭い、そこから瀬底島に渡り、そして名護市東江へと動いています。ちょっと、ロードムービーぽく編集してみました。
https://www.youtube.com/watch?v=KS8dcZ4rmTU&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=KS8dcZ4rmTU&feature=youtu.be