2017年04月28日 23:59
エイサーの祖形はチョンダラー(京太郎)たちの伝えた似せ念仏(若衆念仏)だった。チョンダラーたちは、中世日本から渡来した、念仏と人形劇を生業にした道々の輩だった。彼らは念仏を唱えるときはニンブチャー(念仏者)と呼ばれ、人形劇を演じるときはチョンダラーと呼ばれた。第2回(5月27日)「モーアシビからエイサーへ」
動画観賞:八重瀬町安里の古式のエイサー、平敷屋エイサー東組のナカワチ(道化役)による余興「チョンダラー」
明治・大正期の風俗改良運動によってモーアシビが取り締まりの対象となる。同時期に位牌祭祀が本格的な民衆化を始め、祖先供養芸能の需要が高まっていく。社会の公的な場から追放されたモーアシビの青年男女は、似せ念仏のなかにモーアシビの要素を盛り込み、エイサーという新しい芸能を誕生させていく。
動画観賞:本部町瀬底のエイサー、名護市城のエイサー、読谷村楚辺のエイサー
1960年代、米軍基地の撤廃を目指した「祖国復帰運動」は日本政府によって裏切られ、祖国日本に対する憧憬は急速に薄れていく。この挫折のなかで祖国日本に代わる沖縄のナショナルイメージが求められ、そのナショナルイメージに応えたのが太鼓型エイサーだった。太鼓型エイサーのスタイルの確立によって、エイサーはシマの芸能から、沖縄アイデンティティを表現する芸能に変貌を遂げる。
動画観賞:沖縄市園田・久保田・山里・諸見里などのエイサー
モーアシビの文化が近代的な雑踊の洗練と出会ったとき、近代的な文化は、神話劇として構築されることになる。モーアシビのストレートな恋心は忍ぶ恋に変換され、忍ぶ恋に秘められた激情は、道化の荒々しい舞いとパーランクー叩きの禁欲的な舞いに変換される。そこに動と静とのコントラストが生まれ、エイサーは演劇的な構成をもつようになる。演じる青年たちは来訪神の化身なので、その演劇性は神々の演じる神話劇となっていく。
動画観賞:うるま市屋慶名と平敷屋のエイサー
青年会のエイサーは、沖縄社会にとっての無限の宝であるともいえるが、多くの課題をもつ現状にもある。エイサーにほれ込んだ青年の話を共有して、エイサー青年たちが生きやすい社会を考えていく。講師プロフィール
ゲストスピーカー:上間哲朗(今帰仁村仲宗根青年会前会長、認定キャリア教育コーディネーター)
ファシリテーター:具志堅邦子(講座工房サンジチャー主宰、沖縄国際大学非常勤講師)
1952年、名護市東江に生まれる。1977年、中央大学文学部卒業。1978~2010年、那覇市役所勤務。1990年、ぐしけんかなめ編著「エイサーアンケート集約」発行。2002年、うつ病発病。2015年、ブログ「ぷかぷか」を始める。ブログでアップした「こうの史代『この世界の片隅に』」が5,000アクセス、「宮廷風恋愛から結婚契約、恋愛結婚へ」が4,000アクセス、贈与論に関する六つのエッセイが合計で5,000アクセスを超えるヒットを記録していることを機にPCの前から生の場にでる。