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サンジチャーinゆかるひ エイサー講座

サンジチャーinゆかるひ エイサー講座


土曜の昼下がりは「ゆかるひ」でサンジチャー(午後3時のお茶)を飲みながら、エイサーのことについて学び合い、語り合ってみませんか。エイサーの追っかけ歴25年の具志堅邦子と要の研究をキャンパスから街へ。講座工房サンジチャー(具志堅邦子主宰)による連続講座のスタートです。青年会によるすべてのエイサーは対等であるという視点を持っています。

場所:BookCafé&Hall ゆかるひ 那覇市久茂地3-4-10 YAKAビル3F
時間:午後3時~5時

第1回(5月20日)「道々の輩(ともがら)――チョンダラー」
エイサーの祖形はチョンダラー(京太郎)たちの伝えた似せ念仏(若衆念仏)だった。チョンダラーたちは、中世日本から渡来した、念仏と人形劇を生業にした道々の輩だった。彼らは念仏を唱えるときはニンブチャー(念仏者)と呼ばれ、人形劇を演じるときはチョンダラーと呼ばれた。
動画観賞:八重瀬町安里の古式のエイサー、平敷屋エイサー東組のナカワチ(道化役)による余興「チョンダラー」
第2回(5月27日)「モーアシビからエイサーへ」
明治・大正期の風俗改良運動によってモーアシビが取り締まりの対象となる。同時期に位牌祭祀が本格的な民衆化を始め、祖先供養芸能の需要が高まっていく。社会の公的な場から追放されたモーアシビの青年男女は、似せ念仏のなかにモーアシビの要素を盛り込み、エイサーという新しい芸能を誕生させていく。
動画観賞:本部町瀬底のエイサー、名護市城のエイサー、読谷村楚辺のエイサー

第3回(6月3日)「復帰運動が産んだ太鼓型エイサー」
1960年代、米軍基地の撤廃を目指した「祖国復帰運動」は日本政府によって裏切られ、祖国日本に対する憧憬は急速に薄れていく。この挫折のなかで祖国日本に代わる沖縄のナショナルイメージが求められ、そのナショナルイメージに応えたのが太鼓型エイサーだった。太鼓型エイサーのスタイルの確立によって、エイサーはシマの芸能から、沖縄アイデンティティを表現する芸能に変貌を遂げる。
動画観賞:沖縄市園田・久保田・山里・諸見里などのエイサー

第4回(6月10日)「神話劇としてのパーランクーエイサー」
モーアシビの文化が近代的な雑踊の洗練と出会ったとき、近代的な文化は、神話劇として構築されることになる。モーアシビのストレートな恋心は忍ぶ恋に変換され、忍ぶ恋に秘められた激情は、道化の荒々しい舞いとパーランクー叩きの禁欲的な舞いに変換される。そこに動と静とのコントラストが生まれ、エイサーは演劇的な構成をもつようになる。演じる青年たちは来訪神の化身なので、その演劇性は神々の演じる神話劇となっていく。
動画観賞:うるま市屋慶名と平敷屋のエイサー

第5回(6月17日)「僕の目線からみた青年会エイサー」(仮)
青年会のエイサーは、沖縄社会にとっての無限の宝であるともいえるが、多くの課題をもつ現状にもある。エイサーにほれ込んだ青年の話を共有して、エイサー青年たちが生きやすい社会を考えていく。
ゲストスピーカー:上間哲朗(今帰仁村仲宗根青年会前会長、認定キャリア教育コーディネーター)
ファシリテーター:具志堅邦子(講座工房サンジチャー主宰、沖縄国際大学非常勤講師)
講師プロフィール
具志堅 要 
1952年、名護市東江に生まれる。1977年、中央大学文学部卒業。1978~2010年、那覇市役所勤務。1990年、ぐしけんかなめ編著「エイサーアンケート集約」発行。2002年、うつ病発病。2015年、ブログ「ぷかぷか」を始める。ブログでアップした「こうの史代『この世界の片隅に』」が5,000アクセス、「宮廷風恋愛から結婚契約、恋愛結婚へ」が4,000アクセス、贈与論に関する六つのエッセイが合計で5,000アクセスを超えるヒットを記録していることを機にPCの前から生の場にでる。

申し込みは、FB講座工房サンジチャーへ。当日会場でも受け付けますが、コピー資料の枚数の確認のためですので、参加予定をクリックしてください。
参加費:ワンドリンク(400円より)+コピー代(100円)
駐車場は各自で確保してください。
電話受付は致しません。
急な変更の場合は、FB講座工房サンジチャーでお知らせします。


Posted by はこべるり at 2017年04月28日   23:59
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